福沢一郎 年表

西暦年

和暦年

出来事

1898

明治31

1月18日 群馬県北甘楽郡富岡町(現在の富岡市)に生まれる。父仁太郎、母はつ

1910

明治43

3月 富岡尋常高等小学校を卒業。
4月 群馬県立富岡中学校(現在の富岡高等学校)に入学

1915

大正4

3月 富岡中学校を卒業
9月 仙台の第二高等学校(現在の東北大学)英法科に入学

1918

大正7

3月 第二高等学校を卒業。
9月 東京帝国大学(現在の東京大学)文学部に入学。東京下谷区谷中三崎町22 静浜館に住む。この頃から朝倉文夫の塾に出入りし、彫刻を本格的に始める。ここで木内克と知り合う

1920

大正9

5月 北海道長万部に赴き、彫刻のモデルとしてアイヌ集落の首長を東京に招く

1921

大正10

10月 蛮呶羅社彫刻展(22~28日、日本橋三越)に《椅子》《死んだ鼠》を出品

1922

大正11

7~9月頃 本郷動坂町327番地にアトリエと住居を新築
10月 第4回帝国美術院展覧会(10月14日~11月20日、上野竹の台陳列館)彫刻部に《酔漢》を出品、入選する

1923

大正12

5月 第2回東台彫塑会展(4~27日、上野竹の台陳列館)に《女》《椅子》《平壌の尹君》(以上石膏)、《脱衣》(鋳銅)を出品

9月1日 関東大震災おこる。動坂町のアトリエは無事
この後、劇作家の岸田国士にフランス語を学ぶ

1924

大正13

4月17日頃 日本郵船賀茂丸で渡仏。同船にて外交官の柳沢健、詩人の西条八十と知り合う

5月25~8日頃 マルセイユに到着。同月末、パリに到着。佐伯祐三に伴われてソムラール通りのホテル・ソムラール(現在のオテル・オム・ラタン)に入る。翌年4月頃までここに住む。また、佐伯に中山巍を紹介される。

6~7月 クラマールの佐伯のもとを訪ねる

8月 ブルターニュのグロア島、カンペールなどに旅行する

10月 サロン・ドートンヌに《風景》が入選(no.691 PAYSAGE)。

11月 ネル・ラ・ヴァレの佐伯を訪ね、またヴァルモンドワ、マリーヌなどパリ近郊の小村を旅行する。

1925

大正14

4月 中山巍と高畠達四郎が住むロルヌ街32番地のアトリエに入る。

5~6月 アルル、ニーム、モンマジョールなど南仏を旅行する。

10月 第1回巴里日本人美術家展(通称日本人会展 3-30日 日本人会館)に絵画と彫刻各1点(無題)を出品。

1926

大正15/昭和元

「大胆な黒を使用したシャガールの作風にひかれ、ついでピエロ・デラ・フランチェスカ、ウッチェロ、マンテーニヤ等初期ルネッサンス諸家の暗示力ある画風にひかれる。この頃、ロシア舞踊、スエーデン舞踊の絢爛たる幻想と演技に酔い、しばしば劇場に通う。」
(匠秀夫編年譜『蟹のよこばい』所収 1969年)

1927

昭和2

7~8月 ベルギー(ブルージュ、ガン)に旅行。

10月 サロン・ドートンヌに《風景》が入選。

12月 大戦傷病兵義捐展覧会第2回日本美術部門(1日- )に出品。

1928

昭和3

1月 個展開催(3-17日 Galerie “MOTS ET IMAGES”)。

11月 サロン・ドートンヌに《人物像》が入選。

「1月1日、30歳を記念して〈自画像〉を描く。南仏に冬を過ごす。ルーブルでルーベンスの絢爛たる大画面、圧倒的な肉感描写の迫力に魅了され、その故郷アントワープを訪ね、ついでガン、ブリュージュ、ブリュッセルを廻り、メムリンク、ファン・アイク兄弟等古フラマン派の色彩と技巧に注目する。本場の絵画が日本の洋画にはみられない造形性を持つのに着目し、漸次絵画に転向し製作に勉めた。この年、パリで個展を催し、20点ほど陳列した。」(匠秀夫編年譜『蟹のよこばい』所収 1969年)

1929

昭和4

4月 仏蘭西日本美術家協会展(薩摩展)パリ1回展(8-20日 Galerie La Rennaissance de l’art)に、《Peinture》を2点出品する(カタログ番号19,20)。

6月 仏蘭西日本美術家協会展(薩摩展)ブリュッセル展(14日-7月13日 Galerie Kodak)に、《L’arene de Cimiez(シミエの闘技場)》《Le modele s’amuse(楽しむモデル)》《Le cordonnier(靴屋)》《Le peintre et son modele(画家とモデル)》を出品する(番号19~22)。

9月 第16回二科展(2日~10月4日 東京府美術館)に、川口軌外の作品とともに滞欧作10点※が特別陳列される。

10月 仏蘭西日本美術家協会展(薩摩展)パリ2回展(15-30日 Galerie Javal et Bourdeaux)に《La Mallet et la Valise(トランクと旅行鞄)》を出品(番号4)。

11月頃 川口軌外、児島善三郎、鈴木亜夫とともに1930年協会に会員として参加することが決まる。

※《シーン》《横たはる女》《装へる女》《木の根のある風景》《クリストの頭と花》《バネと棕櫚の葉》《棕櫚の木を背にした少女》《ルユイン》《銅像のある風景》《地図と毬》

1930

昭和5

1月 第5回1930年協会展(17~31日 東京府美術館)に滞欧作28点※が特別陳列される

11月 中山、高畠とともに独立美術協会の結成に参加することを決意。

※ 《風景》《風景》《ストーブ》《犬》《或る男の肖像》《猫の世界》《公園》《彫像のある風景》《風景》《海辺の女》《草原の女》《サントロッペ風景》《鶏》《新街道》《自画像》《静物》《ダイヤと菜のある風景》《仕事着の男》《ヴィラの女》《骨董商》《或男の所蔵》《メトロ工事》《帰れる子》《菜ト葱》《サンマロー駅》《La joie de vivre》《復活》《トランク》(第5回1930年協会目録より 『近代アート・カタログ・コレクション ◆074◆ 一九三〇年協会/槐樹社』参照)

1931

昭和6

1月 第1回独立美術協会展(10~31日 東京府美術館)に滞欧作37※点が特別陳列される。

4月 パリを発ち、帰国する前にイタリア各都市を巡る。

6月5日 帰国。神戸港から名古屋の独立展会場に立ち寄り、帰京。

9月 独立美術協会秋季展(19~29日 東京朝日新聞社楼上)に「My dear」「叔母の肖像」「教授他の事を考えてゐる」「静物」出品。

※ 《煽動者》《Sous les tois de Paris》《人形の謎》《ポアゾンダヴリル(Poisson d’Avril)》《静物》《さよなら….ではまた来年》《Il n’est plus bon qu’a regarder les amour des autres.》《溺死》《神経組織は総ての器官の治癒者です》《産児制限》《父の立腹》《驚けるダイアナ(其ノ1)》《鳥を真似る》《銀行家の札》《偶発的な会合》《風車》《夕の祈》《科学美を盲目にす》《聖アントワーヌの誘惑》《ランファンテリブル》《寡婦と誘惑》《百薬の長》《プラス・マイナス》《悪しきイデーの埋葬》《静物》《男女交情表》《発明家の像》《驚けるダイアナ(其ノ2)》《聴扇其他….奥に狂人》《静物》《小児虐殺》《よき料理人》《ヘラクレスのオリンプ今はトワル張りの小屋となりぬ》《静物》《無敵の力》《サンマロー風景(其ノ1)》《サンマロー風景(其ノ2)》

1932

昭和7

3月 第2回独立美術協会展(19日~4月10日 東京府美術館)に出品※。

9月 独立美術協会の事務所を小島善太郎より引き継ぐ。

10月 独立美術協会秋季展(2~9日 朝日新聞画廊)に《人間嫌ひ》《海景》《非唯物弁償論的問答》《パリ、別離の僕に作用す》《景気転換説》出品。

※《鉄兜の下に誰か明眸の男児を識別せんや》《慰問袋に美人画を入れよ》《智恵と勇気と》《定めなき世に定めなき小夜衣明日は誰が身の妻ならぬかは》《人ならば浮き名や立たむさ夜ふけて我た枕に通ふ梅ヶ香》《母性愛》《教訓出世鑑》《我ノスタルジー》《美しき幻想は至る処にあり》

1933

昭和8

3月 第3回独立美術協会展(10~31日 東京府美術館)に《蟹》《二つの顔》《建たぬ建物》《海底宝探し》《A家の没落を描く》《動かぬ機械》《軍国的静物》を出品。

4月20日 父仁太郎死去(63歳)。

初夏 成城学園教師の金原一枝(明治35年3月8日静岡県生、東京女子大卒)と結婚。親友の菅原高徳に紹介され、中山巍が仲人をつとめた。

10月 独立美術協会秋季展(15~22日 上野松坂屋)に《神の失墜》《なみのりふね》《聖母子像》を出品。

1934

昭和9

3月 第4回独立美術協会展(20日~4月13日 東京府美術館)に「ちづかや風景」「江戸の花」出品。

5月 大礼記念京都美術館美術展覧会(大礼記念京都美術館 1日〜25日)に《周旋屋風景》出品。

7月 福沢一郎個展(7~11日 銀座紀伊国屋画廊)開催。《老の指先》《犬と人物》《風景》《渇けるアンリ四世》《悪の華》《水の底》《小坊主》《篭屋》《静物》を出品。

10月 現代一流諸家洋画展(20~24日)銀座画廊に《脱衣のヴィナス》を出品。

11月 長男一也生まれる。

11月 独立美術秋季展(17~23日 銀座三昧堂)に《獅子》を出品。

1935

昭和10

3月 第5回独立美術協会展(6日~25日 東京府美術館)に《触手のある都会》《水泳群像》《水泳家族》出品。

3月 東京府美術館10周年記念現代総合美術展(31日~4月21日 東京府美術館)に《驚けるダイアナ》を出品。

4月 清水登之、鈴木保徳と共に満洲に渡る(11日)。大連にて三人展開催(17日)。

5月 新京にて独立展開催(07日)。

6月 ハルピンにて三人展開催(28日)。

8月7日 清水と別れ、この月のうちに帰国したと思われる。

10月 満蒙展 銀座青樹社にて開催(31日~11月05日)。

1936

昭和11

1月 独立美術協会事務所を林武に引き継ぐ。

2月 満蒙洋画展(3~7日 大阪三角堂)に《独語》《砂丘》《人像》《ファンテジー》《風景》《雨》等を出品。

3月 第6回独立美術協会展(25日~5月14日 東京府美術館)に《人》《牛》《雪山-壁画風》を出品。

10月 本郷動坂の自宅アトリエに福沢一郎絵画研究所開設。(『福沢一郎絵画研究所展』カタログ 板橋区立美術館 2010年)

11月 独立美術協会秋季展(1~7日 銀座三昧堂)に《エチュード》出品。

1937

昭和12

3月 第7回独立美術協会展(13日~4月4日 東京府美術館)に《二重像》《人》A、B、《女》出品。

4月 明治・大正・昭和三聖代美術展(25日~5月25日 大阪市立美術館)に《驚けるダイアナ》を出品。

8月 著書『シュールレアリズム』(近代美術思潮講座第4巻、アトリエ社)刊行(翌年普及版が同社より刊行)。

10月 独立美術協会秋季展(13~19日 銀座三昧堂)に《蔭のある女》《擬態》出品。

1938

昭和13

3月 第8回独立美術協会展(13日~4月3日 東京府美術館)に《雲》夜、夕、午を出品。

10月 独立美術協会秋季展(9日~13日 銀座青樹社)に《花》出品。

11月 第1回近作個人展(21日~25日 銀座日動画廊)を開催。《人》《人物》《少女》《女》《夏雲》《雨雲》《雲の峯》《雲と花》《風景》1、2、3、4、《ナルシス》等出品。

1939

昭和14

3月 第9回独立美術協会展(10~30日 東京府美術館)に《洪水》A、Bを出品。

4月 外山卯三郎、三岸節子、福沢一郎らを教授陣とする、女性を対象とした美術学校「美術工芸学院」開校

4月5日 福沢一郎、独立美術協会を脱会

4月10日 独立美術協会、福沢一郎を除名処分とする

5月17日 美術文化協会結成。レストラン・アラスカで結成式

10月中旬 中国に渡り、11月末頃まで北京〜石家荘〜太原〜臨汾〜運城(風陵渡)を旅する

12月5日 帰京

1940

昭和15

4月 第1回美術文化協会展(11~19日 東京府美術館)に《山西図》《男》《山西図》を出品(目録より)。

5月 第5回京都市美術展覧会(大礼記念京都美術館 1〜15日)に《山西圖》を招待出品。(

7月 美術文化名古屋グループ展(11~16日 十一屋7階ギャラリー)に《少女》を賛助出品。

11月 美術文化協会秋季展(26~29日 銀座三越)に《風景》《村落》《山西人物》を出品。

1941

昭和16

この年の初め頃、東京市世田谷区祖師谷2丁目67に住居を移し、動坂のアトリエに留守番を置く。

4月5日 治安維持法違反の嫌疑により逮捕され、世田谷署に拘置される。(矢崎博信宛大塚耕二書簡 1941年4月18日付)

4月 第2回美術文化協会(27日~5月6日 東京府美術館)に《風景》を出品。

11月11日 放免され帰宅する。

12月 第2回美術文化小品展(16~20日 銀座青樹社)開催。福沢は不出品。

1942

昭和17

5月 第3回美術文化協会(27日~6月4日 東京府美術館)に《島》《海(その一)》《海(その二)》《花(?/『美術文化』第三回展特集』には図版あり、目録にはなし)》を出品。また課題作品として《帰雁》《狂乱のエクゼター》を出品。

9月 美術文化協会秋季展(1~6日 銀座三越)に《子供達》《海1》《海2》《水浴》を出品。また同時開催「特陳 海軍の小艦艇へ献ず」に《子供》を出品。

10月 福沢一郎新作発表展覧会(19~22日 銀座日動画廊)開催。《海》(1)〜(13)、《渚》、《残照》、《蟷螂》、《美しき科學》など25点を出品

1943

昭和18

5月 第4回美術文化協会(27日~6月6日 東京府美術館)に《神話時代》《凧揚げ》《国引き》《素描1》《素描2》《素描3》《素描4》を出品

5月31日 美術文化協会、「我等は聖戦貫徹の大義に徹し云々」の決議をする

6月 美術文化協会、群馬県太田市の中島飛行機製作所で慰問のための巡回展を開催(?)

9月 美術文化協会による空の精兵を描く展(15~23日 新宿三越)に《暁に飛ぶ》出品

9月 国民総力決戦美術展(1日〜16日 東京都美術館)に《暁ニ飛ブ》出品

9~11月 「東京産業報国会との共同主催にて職場巡回美術展を開催、都下大工場に三ヶ月間にわたり慰安、激励のため巡回開催す」(『第五回美術文化展出品目録』中「美術文化協会小史」より)

1944

昭和19

3月 陸軍美術展(8日~4月5日 東京都美術館)に《追ひ出せ、叩き潰せ》出品。(「戦闘の群像を扱ったもの…いずれも画面に形のマッスが足らぬ」東京朝日新聞)

4月 第5回美術文化協会(28日~5月9日 東京都美術館)に《古生層あれやこれや》《奥秩父の人々村々》《中津川を溯る》を出品(目録より)

9月 美術文化協会彫刻部秋季展(28~30日 銀座資生堂)開催。

年末 陸軍省より陸軍報道部員として従軍の勧告を受けるが、東海大地震のため列車不通になり渡比に間に合わず

この年の夏、長男一也が千葉県夷隅郡興津町へ疎開。同町は戦前の新興財閥のひとつ森コンツェルンのお膝元で、創業者森矗昶(のぶてる)の長男暁(さとる)の子弟(兄妹)とともに住んでいた。福沢の妻一枝と暁の妻が親しかったことがきっかけという(一也氏談)
年末、一也は福沢の郷里富岡町へ移り年を越す。福沢は軽井沢への疎開を計画して準備をすすめていた模様(一也氏談)

1945

昭和20

1月半ば、福沢の一家と森家の子弟で、軽井沢のクラブ化粧品の中山家が所有する別荘へ疎開。長野県北佐久郡軽井沢町南原3559。近所に野村胡堂や「とらや」経営者などが住んでいた。

3月10日 東京大空襲。動坂のアトリエは無事

4月 陸軍美術展(戦争記録画展)(11~30日 東京都美術館)に《船舶兵基地出発》を出品

11月 美術文化協会自由新作展(1~5日 銀座日動画廊)に「秋」出品。

11月 福沢一郎個展(14~18日 銀座日動画廊)開催。《無敵の力》《美とメカニズム》《産児制限》《他人の恋》《ランファン・テリブル》等出品。

1946

昭和21

4月21日 日本美術会結成(書記長:内田巌)。福沢、同会の発起人の一人となる

5月 第6回美術文化協会展(16~31日 東京都美術館)に《村落軽井沢》《冬軽井沢》《初春軽井沢》《凍る軽井沢》《騎馬軽井沢》《朝軽井沢》《残雪軽井沢》《散策軽井沢》《世相群像》出品。

12月 個展-ダンテ神曲地獄篇による幻想より-(1~4日 銀座日動画廊)開催。《憂川》《世相図》など出品

この頃、軽井沢の疎開先から引き上げ、一時野島康三の所有するアパートに住む

1947

昭和22

2月15日 軽井沢から世田谷区祖師谷2-1139に移る

5月 現代美術総合展(1~20日 東京都美術館)に出品

5月 第7回美術文化協会(24日~6月7日 東京都美術館)開催。福沢は不出品

6月 第1回美術団体連合展(10~30日)開催。美術文化協会は不参加

9月22日 日本アヴァンギャルド美術家クラブの結成に参加

12月 日本美術会主催による第1回日本アンデパンダン展(9~18日 東京都美術館)に出品

1948

昭和23

2月 日本アヴァンギャルド美術家クラブモダンアート展(25日~) 福沢《争う群像》出品

3月 福沢一郎新作展(22~26日 銀座・日動画廊)開催

4月 第2回現代美術総合展(15日~5月10日 東京都美術館)に《敗戦の記念碑(敗戦群像)》出品

5月 第2回美術団体連合展(25日〜6月16日、都美術館)に《花と人(毎日グラフ特集号記事》(楽園追放(出品目録))出品

6月 第8回美術文化協会(19日~7月5日 東京都美術館)に出品。

11月 日本美術会主催第2回日本アンデパンダン展(22日~12月16日 東京都美術館)に《樹海》を出品

1949

昭和24

2月 読売新聞社主催第1回日本アンデパンダン展(11日~3月3日 東京都美術館)に《樹海》を出品

3月 第9回美術文化協会展(5~13日 東京都美術館)に出品。

5月 第3回美術団体連合展(14日」~6月5日 東京都美術館)に《樹海》を出品

9月 福沢一郎新作油絵展(10~14日 銀座日動画廊)開催

この年 美術文化協会を退会。

1950

昭和25

1月 読売新聞社主催現代美術自選代表作十五人展(11~29日 日本橋高島屋)に《30歳の自画像》《怖るべき子供》を出品

2月 読売新聞社主催第2回日本アンデパンダン展(18日~3月8日 東京都美術館)に《世界征服の夢大聖@斗雲にのって上昇》を出品

3月 文部省主催「現代美術展」に《虹》を出品するが、返却のためリヤカーで搬送中に車が炎上、消失(『読売新聞』1950年3月30日 2面)

6月 北海道旅行にでかけ、主に釧路、根室、網走、知床半島など道東をめぐる

11月 第1回群馬県美術展覧会(1〜7日 前橋教育会館)に《さめ》を出品(審査員)

12月 個展=道東風物展(10~16日 日本橋三越)開催

1951

昭和26

1月 第2回秀作美術展(20~31日 日本橋三越)に《大地の果て》を出品

2月 日本美術会主催日本アンデパンダン展に滞欧作特別陳列として《科学美を盲目にする》を出品(『読売新聞』1951年2月12日 4面)

2月 読売新聞社主催第3回日本アンデパンダン展(5~14日 東京都美術館)に《或るバレエの装置》を出品。

8月 南米サンパウロ美術展出品作品展(9~26日 東京都美術館)に《熊刻むアイヌ》を出品。この作品は同年10月のサンパウロ・ビエンナーレ(1日~12月31日)に出品される。

10月 第20回独立美術協会展(9~26日 東京都美術館)の20周年記念室に《無題》出品

11月 第2回群馬県美術展覧会(1〜7日 前橋教育会館)に審査員及び運営委員として参加

1952

昭和27

2月 個展(26日~3月3日 日本橋三越)開催。

2月 読売新聞社主催第4回日本アンデパンダン展(28~3月18日 東京都美術館)に《横たわる男》を出品。

3月 福沢一郎・海老原喜之助展(10日~4月10日 神奈川県立近代美術館)開催。

5月 文化自由委員会国際親善本部主催の国際芸術祭典「20世紀の傑作」に参加するため平林たい子とともに渡仏(14日)。同祭典の開始日に間に合わなかった日本人画家の作品展示(6月23日-7月5日 クリトン・クラブ(文化自由委員会国際親善本部))に立ち会う。

6月 第26回ヴェネツィア・ビエンナーレ(14日〜10月19日、ビエンナーレ中央館、ヴェネツィア)に《樹海》(1948)を出品。

7月 スペインに旅行(28日)。

9月 パリに戻る(2日)。

11月 国立近代美術館第一回展(国立近代美術館)に《憂川(ダンテの神曲より)》を出品。

12月 個展(1~13日 Gallery Benedite, Paris)開催。

1953

昭和28

1月 フランスからブラジルへ渡り、サンパウロに約8カ月ほど滞在する。

1月 第4回秀作美術展(28日~2月8日 日本橋三越)に《つららの町》出品。

2月 個展(18日~3月3日 サンパウロ現代美術館)開催。

9月 リオ・デ・ジャネイロに滞在した後、アマゾンを遡行してマナウスに至り1カ月ほど滞在。

12月 ベレンに滞在。

1954

昭和29

1月 ベレンからメキシコに渡り、5月まで滞在。またこの間メキシコ・シティで個展を開催

5月 第1回現代日本美術展(19日~6月5日 東京都美術館)に《アマゾンの女たち》を出品

5月 ロサンゼルスから船で帰国、19日に横浜に到着

10月 美術文化協会に再入会。上野の山水楼で再出発の会を開く

11月 第5回群馬県美術展覧会(3〜8日 前橋教育会館)に審査員及び委員として参加

1955

昭和30

2月 「19人の作家 戦後の絵画・彫刻」(5日~3月13日 国立近代美術館)に《樹海》(1948)《厚岸の霧》(1950)《群像》(1952)《傀儡》(1954)《メキシコの市場》(1955)を出品

2月 第15回美術文化協会展(15~27日 東京都美術館)に出品

3月 読売新聞社主催第7回日本アンデパンダン展(1~17日 東京都美術館)に《臆病窓》《西班牙ラプソデー》を出品

5月 第3回日本国際美術展(20日~6月12日 東京都美術館)に《顔》《Xのファンタジア》を出品

11月 第6回群馬県美術展覧会(1〜7日 前橋教育会館)に審査員として参加。

1956

昭和31

2月 第16回美術文化協会展(2~14日 東京都美術館)に出品。

3月 読売新聞社主催第8回日本アンデパンダン展(1~17日 東京都美術館)に《闘牛》《いれずみの男》を出品

5月 第2回現代日本美術展(22日~6月8日 東京都美術館)に《狩猟》《窓》を出品

10月 油絵展(2~7日 渋谷東横)開催

11月 第7回群馬県美術展覧会(1〜7日 前橋教育会館)に審査員として参加

11月 世界・今日の美術展(13~25日 日本橋高島屋)に《踊り》を出品

12月25日 読売新聞ベストスリー美術部門に挙げられる。

1957

昭和32

1月 第8回秀作美術展(5~20日 日本橋三越)に《狩猟》を出品

1月 第17回美術文化協会展(28日~2月8日 東京都美術館)に出品

2月 読売新聞社主催第9回日本アンデパンダン展(25日~3月12日 東京都美術館)に《鳥のいる母子像》《森の王者》《読む男》《煙草吸う女》出品

3月 第7回芸術選奨文部大臣賞を受賞

5月 第4回日本国際美術展(23日~6月16日 東京都美術館)に《埋葬》を出品、日本部の最高賞を受ける

6月 第9回高知市文化祭 福沢一郎展(11〜16日、高知大丸5階ホール)開催。《骨董屋の女》《ウソ発見器》など27点を出品

6月 第1回東京国際版画ビエンナーレ(15日~7月14日 国立近代美術館)に《夜の鳥》を出品

10月 近作油絵展(24~30日 兜屋画廊)開催

第8回群馬県美術展覧会(1〜8日 前橋教育会館)に審査員及び委員として参加

11月24日 美術文化協会を再度脱会して無所属となる。この時福沢と共に同協会を脱退した者を中心として新象作家協会が結成される

1958

昭和33

1月 第9回秀作美術展(5~19日 日本橋三越)に出品

1月31日 第9回毎日美術賞を受賞

3月 ヴェネツィア・ビエンナーレ展国内展示会(4~9日 ブリジストン美術館)に出品

5月 第3回現代日本美術展(15日~6月2日 東京都美術館)に《祈り》《踊り》を出品。またグランプリ作家特陳室に《他人の恋》《定めなき~》《マイ・ディア》《美しき幻想~》《樹海》《箴言》《射手》《はなび》《黒人舞踊その1》《黒人舞踊その2》を出品

5月22日 ヴェネツィア・ビエンアーレに日本の副代表として参加するため渡欧

第6回ヴェネツィア・ビエンナーレ(14日~10月19日)に《牛》(1936)、《森の人間達》(1955)、《踊り》(1956)、《闘牛》(1956)、《笛を吹く男》(1956)、《いれずみの男》(1956)、《狩猟1》(1956)、《狩猟2》(1956)、《狩猟3》(1956)、《埋葬》(1957)、《鳥》(1957)、《鳥》(1957)を出品。同展出席後ヨーロッパ各地を巡り、11月まで滞欧。

9月 オーストラリア・ニュージーランド巡回・日本現代美術展国内展示会(4~10日 国立近代美術館)に出品

11月4日 ヨーロッパからインドのボンベイに渡り、インド各地を巡って20日に帰国

11月 第8回群馬県美術展覧会(16〜23日 前橋教育会館)に委員として参加

1959

昭和34

1月 第10回秀作美術展(6~18日 日本橋三越)に《祈り》出品。

1月 戦後の秀作展(23日~3月1日 国立近代美術館)に《祈り》出品。

5月 第5回日本国際美術展(9日~6月3日 東京都美術館)に《地獄門》を出品。

11月 毎日美術賞10周年記念展(3~8日 日本橋高島屋)に《埋葬》《王、王妃及び見者》《地痕》1、2《インドの行者》を出品。

11月 個展(10~15日 渋谷東横)開催。

1960

昭和35

1月 第11回秀作美術展(5~17日 日本橋三越)に《人》出品。

1月 アメリカ巡回・近代日本の素描展(29日~2月21日 国立近代美術館)に出品。

4月 超現実絵画の展開展(1~24日 国立近代美術館)に《怖るべき子供(L’ENFANT TERRIBLE)》出品。

4月 国立近代美術館土曜講演で《超現実絵画の黎明期について》講演。

5月 第4回現代日本美術展(10~21日 東京都美術館)に《コナラックにて》を出品。

11月 第11回群馬県美術展覧会(1〜8日 前橋教育会館)に委員として参加

この年、読売新聞ベストスリー選出作家第1位になる。

この年、多摩美術大学客員教授となる。

1961

昭和36

1月 作品展(20~31日 大阪戎橋画廊)開催。

5月 第6回日本国際美術展(10~30日 東京都美術館)に《戦士》を出品。

11月 鎌倉近代美術館の十年展(3日~12月24日 神奈川県立近代美術館)に《牛》が出品。

横浜成美学園新館玄関にデコラによるモザイク風壁画を制作。

上智大学学生食堂にも同様の壁画を制作。

1962

昭和37

1月 個展(15~28日 大阪戎橋画廊)開催。

2月 現代絵画の展望展(13~25日 国立近代美術館)に《埋葬》出品。

5月 福沢一郎近作展(8~13日 白木屋)開催。《白亜紀のファンタジア》等出品。

5月 第5回現代日本美術展(9~22日 東京都美術館)に《黒人霊歌》《黒人聖歌》を出品、国立近代美術館賞を受賞。また同展の公募部門洋画の審査員となる。

この年から、雑誌「太陽」連載の特集「日本人はどこから来たか」及び「日本文化のあけぼの」のための油彩を描く(’64年まで)。

1963

昭和38

1月 第14回秀作美術展(5~13日 日本橋三越)に《黒人霊歌》を出品。

1月 個展(14~27日 大阪戎橋画廊)開催。

2月5日 妻一枝死去(61歳)。

5月 第7回日本国際美術展(10~30日 東京都美術館)に《祝祭》を出品。

1964

昭和39

1月 第15回秀作美術展(5~12日 日本橋三越)に《埋葬》を出品。

1月 滞欧作とその後展(5日~2月16日 国立近代美術館)に出品。

1月 朝日新聞の新人国記(群馬県)に挿絵連載(11~29日)。

4月 前立腺肥大症の手術で入院(9月まで)。05月 第6回現代日本美術展(9~30日 東京都美術館)に《サヴァンナのかなた》《ゴールへ》を出品。

06月 母ハツ死去(86歳)。

10月 オリンピック東京大会芸術展示・近代日本の名作展(1日~11月8日 国立近代美術館)に《埋葬》招待出品。

この年、女子美術大学教授となる。

1965

昭和40

4月15日 渡米。アメリカ留学中の長男夫妻を訪ねる。

5月 第8回日本国際美術展(10~30日 東京都美術館)に《よき天使悪しき天使》出品。

6月1日 ニューヨークに移り、2度ほど宿を変えた後ホテル・チェルシーに滞在し、ここで制作に励む。

7月 福沢一郎展-福沢一郎と日本の超現実派(31日~9月30日 高崎・群馬県美術館ファンディション・ギャラリー)開催。

9月 前衛絵画の先駆者たち展(4日~10月3日 国立近代美術館京都分館)に出品。

12月 具象絵画の新たなる展開展(17日~1月30日 国立近代美術館京都分館)に黒人による連作から《投票》《悲しむ女》《影》《うごめく群れ》出品。

1966

昭和41

1月 個展(10~16日 大阪戎橋画廊)開催。

4月 個展=黒人有情(1~6日 白木屋)開催。

5月 第7回現代日本美術展(10~30日 東京都美術館)に《ノアの箱舟》出品。

6月 個展(富岡市商工会議所)開催。

1967

昭和42

1月 個展(7~15日 大阪戎橋画廊)開催。

5月 第9回日本国際美術展(4~31日 東京都美術館)に《海の全ての魚恐れおののいてノアの支配に服す》出品。

5月 オセアニア旅行に出発(13日)

6月 中央オーストラリアの砂漠地帯を訪れる(5日)。その後、ニューギニアのマウント・ハーゲンゴロカ周辺の集落で原住民の生活を観察する(28日)。

7月 シドニーを経て帰国(14日)。

09月 素描展(16~22日 新宿伊勢丹)開催。

1968

昭和43

1月 個展(4~14日 大阪戎橋画廊)開催。

5月 第8回現代日本美術展(10~30日 東京都美術館)に《ダ・ヴィンチによる試作》《南の女》出品。

6月 Dada展(1日~7月14日 東京国立近代美術館)に出品。

9月 近代洋画史に生きる福沢一郎展(20~30日 渋谷西武)開催。

10月 福沢一郎展(8日~11月26日 高崎・群馬県美術館ファンディション・ギャラリー)開催。

11月 多摩美術大学学長事務取扱となる。

1969

昭和44

1月 個展(16~25日 大阪丸善画廊)開催。

3月 多摩美術大学学長事務取扱及び理事、教授を辞す。

5月 第9回現代日本美術展(10~30日 東京都美術館)に《埋葬》出品。

10月 浜松信用金庫ビルのステンドグラス原画を制作。

1970

昭和45

1月 個展(12~18日 大阪戎橋画廊)開催。

4月 ギリシャへ旅行。

11月 個展「石は語る-ギリシャの旅」(銀座彩壷堂)開催。

1971

昭和46

3月 福沢一郎展-ギリシャの旅より(5日~4月25日 高崎・群馬県美術館ファンディション・ギャラリー)開催。

4月 近代日本美術における1930年展(3日~5月16日 東京国立近代美術館)に出品。

4月 ヨーロッパ旅行へ出発(30日)。パリからローマへと向かう。

5月 帰国(末)。

11月 個展「地獄門」(1~13日 銀座彩壷堂)開催。

1972

昭和47

2月 戦後日本美術の展開-具象表現の変貌展(8日~3月12日 東京国立近代美術館)に《敗戦群像》《霊歌》が出品。

9月30日 富岡市名誉市民となる。

1973

昭和48

5月 福沢一郎-地獄への誘い(8~20日 東京セントラル美術館)開催。

5月 現代日本美術展-現代美術20年の展望(10~30日 東京都美術館)に《埋葬》が出品。

7月 福沢一郎自選展(16~28日 京都ギャルリ宮脇)開催。

1974

昭和49

10月 群馬県立近代美術館開館記念展第1部・館蔵代表洋画展(17日~11月10日 群馬県立近代美術館)に寄贈作品20点が展示される。

10月 個展(名古屋・丸栄)開催。

11月 個展-厭離穢土・欣求浄土(12~24日 東京セントラル美術館)開催。

群馬県立近代美術館の名誉顧問となる。

1975

昭和50

3月 福沢一郎近作大個展(7~10日 前橋・群馬県夫人青少年センター)開催。その売上金を児童養護施設「フランシスコの町」(群馬県群馬町)建設資金に寄付。

8月 山本太郎「ユリシイズ」(思潮社)のために10点のエッチングを制作。

9月 シュルレアリスム展(10日~11月9日 東京国立近代美術館 / 11月26日~1976年1月11日 京都国立近代美術館)に《Poisson d’Avril》《よき料理人》《怖るべき子供》《無敵の力》《科学美を盲目にする》が出品。

1976

昭和51

1月 第1回群馬青年美術展(25日~2月25日 群馬県立近代美術館)の審査員となる。

4月 福沢一郎展(17日~5月23日 群馬県立近代美術館)開催。

1977

昭和52

4月 富岡市中央公民館ホールの緞帳のための原画を制作、富岡市に寄贈。

6月 現代美術のパイオニア展(7~19日 東京セントラル美術館)に《嘘発見器》《科学美を盲目にする》が出品。

10月 日本洋画を築いた巨匠展(15日~11月23日 神奈川県立近代美術館)に《よき料理人》《敗戦群像》が出品。

10月 日本の現代美術展-国内美術と国際美術(22~11月23日 栃木県立美術館)に《よき天使悪しき天使》が出品。

12月 戦後美術の出発展(17日~1978年2月26日 東京都美術館)に《樹海》《虚脱》《敗戦群像》《大地の果て》が出品。

1978

昭和53

1月 青い眼、黒い眼展(21日~3月21日 国立国際美術館)に《他人の恋》《無敵の力》が出品。

4月 地獄絵・福沢一郎の世界展(15日~6月18日 国立国際美術館)開催。

夏 スペインに旅行する。

10月 文化功労者に選ばれる。

11月 福沢一郎展-スペインの旅(20日~12月8日 ギャラリー・ジェイコ)開催。

12月 富岡市に《闘牛》を寄贈。

1979

昭和54

9月 明治・大正から昭和へ-近代日本美術の歩み展(1~30日 東京都美術館 / 10月6~28日 京都市美術館)に《無敵の力》が出品。

9月 福沢一郎展(14~30日 高知県立郷土文化会館)開催。

10月 現代美術・戦後展(27日~12月16日 神奈川県立近代美術館)に《敗戦群像》《氷にとざされた亡者たち》が出品。

1980

昭和55

4月 九州に旅行。

4月 山梨県立美術館ロビーのための大作《失楽園》を制作。壁画《楽園の喪失》制作資料展(25~5月8日 ギャラリー・ジェイコ)開催。

10月 1930年協会の作家たち展(4~27日 和歌山県立近代美術館)に《他人の恋》《嘘発見器》《よき料理人》が出品。

1981

昭和56

3月 福沢一郎魏志倭人伝展(26~31日 日本橋高島屋 / 4月2~7日 なんば高島屋/4月9~13日 高崎高島屋 主催:日本経済新聞社)開催。

4月 福沢一郎・円鍔勝三展(20~26日 多摩美術大学八王子校舎ギャラリー)開催。

4月 第15回現代日本美術展(26日~5月2日 東京都美術館)に特別招待作家として《卑弥呼巫儀を行う》《倭国内乱》《邪馬台国闘う》を出品。

7月 富岡市立図書館(1982年5月開館)のための大作「原人のいぶき」を制作。

9月 戦後美術35年の歩み展No.1(5~16日 東京美術センター)に作品が展示される。

1982

昭和57

4月 高崎駅ターミナルビルの西口に原画《だるまの詩》による陶板壁画が完成。

10月 近代100年日本の名作展(9日~11月14日 兵庫県立近代美術館)に《顔》《黒い煽動者》が出品。

11月 「現代日本美術の展望-油絵」展(3日~12月15日 富山県立近代美術館)に《倭国内乱》が出品。

11月 日本の洋画展-戦後三十年の展望(13日~12月5日 広島県立美術館)に《敗戦群像》《衆合地獄》が出品。

11月 前橋市民文化会館のための大作を制作。

1983

昭和58

1月 個展(6~29日 ギャラリー・ジェイコ)開催。

3月 土岡秀太郎と北荘・北美と現代美術展(5~27日 福井県立美術館)に《定めなき~》《狩猟》が出品。

3月 伊勢崎市文化会館のための大作《騎馬民族征服王朝説》を設置。

9月 「1930年協会・独立美術協会による近代洋画の歩み」展(30日~10月12日 新宿・小田急 / 18~23日 横浜・三越 / 27日~11月1日 大阪・大丸)に《教授たち》《ディーテの門~》《卑弥呼》が出品。

10月 裸体画・100年の歩み展(7日~12月4日 国立国際美術館)に《科学美を盲目にする》が出品。

箕面学園図書館に壁画制作。

1984

昭和59

7月 福島県立美術館開館記念展�「戦後の名作にみる人間像」(22日~8月19日 福島県立美術館)に《敗戦群像》《虚脱》《投票》《滅びの民A》《滅びの民B》が出品。

10月 近代日本洋画の200年展(4日~11月25日 東京富士美術館)に《鳥》が出品。

1985

昭和60

4月 国際交流基金主催近代日本洋画展(6日~5月19日 ヴェネツィア・ヴェンドラミン・カルレジ / 6月11日~7月21日 ケルン市立アジア美術館)に《他人の恋》が出品。

4月 福沢一郎展(22日~5月25日 ギャラリー・ジェイコ)開催。リトグラフ集《ギリシャ神話から》発行。

9月 東京モンパルナスとシュールレアリスム展(12日~10月13日 板橋区立美術館)に《嘘発見器》が出品。

10月 「近代洋画の展開-初期独立美術協会の作家たち」展(5~28日 和歌山県立近代美術館)に《よき料理人》《怖るべき子供》《定めなき~》が出品。

12月 「日本前衛美術の展開1945~1965」展(8日~1986年2月9日 オックスフォード近代美術館 / 3月1日~4月12日 エジンバラ・フルーツマーケット)に《敗戦群像》が出品。

1986

昭和61

7月 福沢一郎展(4~13日 富岡市中央公民館)開催。

11月 福沢一郎芸術の世界展(30日~12月4日 コロク・ショッピングセンター)開催。

12月 前衛芸術の日本展1910~1970(9日~1987年3月 パリ国立近代美術館)に《無敵の力》《教授たち~》が出品。

1988

昭和63

4月 福沢一郎展(16~5月22日 群馬県立近代美術館 / 6月4日~7月10日 世田谷美術館)開催。

1989

昭和64/平成元

5月 個展「HAWAII-Jan.~Mar.」(ギャラリーf)開催。

12月 福沢一郎絵画展(富岡市中央公民館)開催。

1990

平成2

2月 福沢一郎-牧神とニンフたちの午後-展(ギャラリーf)開催。

11月 東京都多摩市に東京国際美術館が開館し、福沢一郎記念室が併設される。

1991

平成3

11月 文化勲章を受章する。

12月 文化勲章受章記念福沢一郎展(4日~1992年2月29日 東京国際美術館)開催。

1992

平成4

2月 群馬県名誉県民に選ばれる。

6月 文化勲章受章記念福沢一郎展(14日~7月19日 群馬県立近代美術館)開催。

10月16日 死去。20日に砧の聖愛教会で葬儀が行われる。

10月25日 多摩美術大学講堂にて福沢一郎の「お別れの会」が開かれる。

10月 福沢一郎展(31日~11月3日 伊勢崎市文化会館)開催

11月29日 富岡市講堂にて福沢一郎市葬が行われる。遺骨は市内の龍光寺にある代々の墓に葬られる。

1993

平成5

9月 福沢一郎の世界~没後1年追悼展(10月3~17日 高崎・広瀬画廊)開催。

10月 (財)福沢一郎記念美術財団(理事長:本間正義、代表:福沢一也)が発足。

1994

平成6

12月 (財)福沢一郎記念美術財団が東京・砧の自宅アトリエを改装した「福沢一郎記念館」を開設、福沢一郎の世界(~9日)開催。

1995

平成7

8月 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館開館(8日)。

10月 開館記念展「福沢一郎と昭和初期の洋画」(7日~11月12日 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館)開催。

1996

平成8

7月 テーマ展「福沢一郎とNew York」(富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館)開催。

1997

平成9

7月 テーマ展「福沢一郎初期作品展」(富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館)開催。

1998

平成10

9月 生誕100年記念 福沢一郎展(12日~10月20日 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館)開催。

9月18日 『福澤一郎の秩父山塊』(「池内紀のちいさな図書館」 五月書房)出版。

1999

平成11

2000

平成12

9月 テーマ展 ピカソと福沢一郎(30日~11月12日 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館)開催。

2001

平成13

2002

平成14

4月 福沢一郎の世界(12日~6月20日 群馬県立近代美術館)開催。

2003

平成15

6月 特別展示 福沢一郎の世界(7日~7月8日 群馬県立館林美術館)開催。

2004

平成16

1月 福沢一郎とそれぞれの戦後美術(30日~3月7日 富岡市立美術博物館・福沢一郎記念美術館)開催。

2008

平成20

1月 「福沢一郎は今日から歩き出す」展(6日~3月2日 多摩美術大学美術館)開催。

参考文献:戦後美術年表 一九四五-一九五〇 美術年鑑社 1995年
     生誕90年 福沢一郎展 群馬県立近代美術館 1988年
     日本美術史年表 小学館 1986年

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